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呉羽の地名の由来と文化

みなさん、こんにちは!

I CAN コーチング ミッションコーチの齋藤です。

二日ほど、頭が痛くなるような内容だったので、
今日は趣を変えて、地元富山のプチ情報。

来年の夏に、富山で宿泊研修をするかも?
ってことで、どこがいいか調べてたんですけど、
諸条件から「呉羽ハイツ」を候補に選んでみた。

その場所は呉羽丘陵にあり、富山駅から車で
15分という好立地で、富山県を東西に分ける
丘陵で、標高80mの呉羽山、145mの城山がある。

以前から、「呉羽」という地名が気になっていて、
ちょっとだけ調べてみたら、面白かったので
書いてみようと思います。

古事記に、応神天皇の時、百済から
「呉服(クレハトリ)」が渡来。
日本書紀に、呉国から「呉織(クレハトリ)」が
渡来帰化とあるそうです。

クレハトリとは、呉の国から来た機織り技術者。
クレノハタオリが縮まって、クレハトリとなる。

クレハトリが住んだ地名をクレハと称し、
漢字で呉服と書き、やがて呉服・御服・五福と
当て字もされるようになったとのこと。

ちなみに、1183年の「源平盛衰記」巻二八
(北国所々合戦事)には、クレハヤマを
御服山と表記していたり、呉羽丘陵の東部に
隣接したところに五福という地域も現存している。

呉羽駅の近くにある「姉倉比売神社」に祀られる
姉倉姫が機織りの女神であり、呉羽山一帯に
大陸の文化が息づいていたと考えられるとのこと。

鎌倉末期の刀工「正宗」の弟子の一人、
「佐伯則重」が「諸国鍛冶系図」に記載があり、
呉羽山に住んでいたと記されている。
戦国期には、白鳥城・大峪城などの城館があり、
古くから戦略上の要衝でもあったようだ。

また、富山藩二代藩主前田正甫により、
稲作に適していない呉羽丘陵に、呉羽茶を栽培。
明治時代には、富山県内の消費をまかなうほどの
収量だったとのこと。

そんな歴史のある場所で、宿泊研修をすることも、
なんだか面白い!と思いました。


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